田上義也(たのうえ よしや 1899-1991)

田上義也は、1917年に早稲田工手学校卒業後、逓信省に勤務していた。1919年、技術系通訳として、帝国ホテルライト館建設プロジェクトに参加したが、帝国ホテル竣工式当日の関東大震災のあと、東京を離れ、北海道に移り住んだ。田上は、音楽家としての才能を活かした活動を始めた。

田上は、建築を続けるか、音楽家になるか悩んでいたころ、フランク・ロイド・ライトからの手紙が、田上に建築家として活動を再開させた。

ライトの手紙は、『貴方のお国は建築に目覚めた若者が必要です。あなた方の何人かが、それに目覚めたとすれば、私は間違いなく皆さんに感謝します。偉大な努力の中に重要でない役割はないのです。』

1924年、田上は北海道に建築事務所を開業し、その後、北海道の気候に適した技術を試行錯誤しながら開発した。彼の60年間に及ぶ数多くのプロジェクトは、フランク・ロイド・ライトの建築思想の中に、力強さと溌溂さを持っている。

帰国後、日本初の女性建築家として、個人または土浦亀城との協同設計をとおして昭和初期の日本の住宅改良に貢献した。しかし、1937年頃より建築界を離れ、写真や抽象画の分野で活躍した。

主な作品
1927年 旧北一条教会
1927年 旧高田邸
1927年 旧小熊邸
1927年 坂牛邸
1927年 坂邸別邸
1936年 旧北見教育会網走博物館