ライトの系譜

遠藤 新(えんどう あらた 1889-1951)


1914年、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業した遠藤新は、熱烈なライトファンであった。1917年、フランク・ロイド・ライトの助手として、帝国ホテル支配人林愛作を通じて、ライトに紹介され、帝国ホテルプロジェクトに加わった。遠藤は、帝国ホテルプロジェクトに必要なドラフトマンを集め、参画させた。1917年から1918年には、米国で、帝国ホテルを始めとする日本向け建設プロジェクトの設計支援を行った。

帰国後は、帝国ホテルと自由学園建設の現場責任者として活躍。1922年にライトが日本を去った後は、帝国ホテル建設責任者としてプロジェクトの完成に注力した。フランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館と山邑太左衛門別荘建設では、共同設計者として完成図面に署名した建築家として知られている。

独立後、遠藤は、日本国内、中国で設計活動を行った。第2次世界大戦後、中国から帰国。目白ケ丘教会が最後の作品となった。

主な作品
1925年 羽仁吉一邸
1927年 自由学園講堂、加地利夫別邸
1928年 梁瀬自動車本社ビル、矢田部勁吉邸
1929年 自由学園初等部
1930年 甲子園ホテル(現在の武庫川学園甲子園会館)
1932年 笹屋ホテル(豊年虫)
1934年 自由学園女子部校舎・食堂・講堂
1935年 満州中央銀行倶楽部、幹部住宅
1950年 目白ケ丘教会