ライトの系譜

天野太郎(あまの たろう 1918-1990)

1945年、早稲田大学理工学部建築学科卒業後、鹿島建設で設計活動を行う。1949年、鹿島建設が施工監理を請け負った目白ヶ丘教会の現場事務所で、設計者遠藤新に出会う。また、自由学園南沢キャンパスの二棟の設計にも携わった。

1952年、鹿島建設を休職し、米国タリアセンに渡り、フランク・ロイド・ライトに学ぶ第2次世界大戦後最初の日本人建築家となった。タリアセンでは、ライトの叔母のヒルサイドホームスクールの再建などに参加した。

帰国後は、鹿島建設に戻り設計活動を行った。工学院大学建築学科が創設された1955年から1962年まで教鞭をとった。1962年からは、東京藝術大学建築科で多くの学生を指導した。天野のライトについての著作を通じて、ライト思想に触れる機会を持った日本人は数知れない。

主な作品
1955年 音羽の家
1959年 新花屋敷ゴルフクラブハウス
1961年 嵐山カントリークラブ
1964年 東京藝術大学図書館
1973年 東京藝術大学中央棟